マリンへ

もうそろそろ2ヶ月になるけど、今この素直な感情と本当にあった出来事をいつまでも忘れずに残しておく為にここに日記として書きます!

その時その時の感情はいつか薄れてしまうのではないかな。文章として残しておく事で思い出に浸り、過去を思い出したり、これからも前向きに楽しむ事が目的です!だから、これをきっかけに今日からブログを書いてこうかなと。START!

 

2020.09/26に愛犬が旅立った。

9月1日に誕生日を迎え13歳になったばかりだった。誕生日プレゼントにサッカーのユニフォームをプレゼントしてお揃いで着ようと注文画面に進んだらちょうど「Lサイズ」だけ完売していて購入出来なかった。オリジナルネームをいれたりすると受注品になるので届くのに1ヶ月程度かかると書かれていた。注文しようと思ったのが誕生日の3日程前、 となると届くのが9月末になる。命日は9/26。今考えると不思議で、いかにも「頼まなくていいよ、間に合わないから。」と言われていたように感じた。どうしてもサッカーの服を着せたくてネットショッピングで日本代表ではなくてなぜかブラジルのユニフォームを購入した(笑)少し小さかったので布を足してミシンで縫いつけてポケモン(ピチュー)のワッペンを付けてあげたな♡それを着ているマリンが可愛くて可愛くて仕方がなかった。当時まだ暑いのもあってあまり着せてなかったので服を着てる写真が少ないのが残念だった。あの頃はまた来年も!とか思ってたけど、最後の誕生日プレゼント渡せて感謝してるよ。

 

6月に膀胱の手術をしたけどその後はとても元気だった。頻尿みたいな事はあったけどそれも全て高齢犬だからかなと思っていた。9月のシルバーウィーク辺りからご飯を食べなくなった。最初は夏バテかなと思ってたけど2.3日しても食欲が戻らないので病院へ。診断は膀胱に小指の第一関節くらいの大きさのデキモノがある、奥深くにあって手術が出来ないとの事。その為、食欲促進剤と排泄促進剤の飲み薬を出されただけだった。その時に何も出来ない自分に腹が立った。この時代、手術が出来ない事ってあるのかよって悔しくなった。それは動物だからなの?と疑問でもあった。一般人な私には訳が分からなかった。人間と同じように食べれなくなると死んでしまうのかと頭を過ぎる。だけど私は「またすぐに元気になるでしょう!」なんて気軽に思ってた。体調崩してもいつも強かったからさ。本当のお別れが来ることも知らずにね。ついにお水まで、飲んでも吐いてしまうようになった。それからは力が入らなくて歩くのもふらふらして一苦労、1週間前のマリンとは比べ物にならないくらい、想像もつかないようなスピードで進行していった。1人で居させるのが怖くなった。少しでも側にいたいと思い始めた。寝てる時はずっと見守った。起きてる時は誰よりも近くに居た。一緒に大好きな玄関でも寝たね。夜は寝て起きての繰り返し、起きたらすぐ歩こうとするから夜も寝れない日々。変わり果てた様子を見てるのも感情移入してしまって厳しい始めての感情。でもずっと一緒に居た。絶対後悔すると思ったし、それが飼い主の使命でもあると思ったから。そして病院から2日後、パパと2人でオムツを変えようと私がマリンを持ち上げた瞬間、全身痙攣を起こしてしまった。そして過呼吸も止まらない。病院に電話をすると、医者から言われたのは「来てください」か「お家で看取ってあげて」の2択だった。もう分かっていたのだろう。数日前、治療法はないと言われてたから「行っても延命治療になる」「でも楽にさせてあげたい」の交差した気持ちと葛藤。泣くのを堪えながら返答。家で看取ると決断。その数分後、全身痙攣は治まった。が、過呼吸が止まらなかった。あの時、「オムツを変えようとしなければ良かった」とか「違う所を支えてあげていたら」とか『タラレバ』だけが残る。自分が症状を悪化させてしまったと自分を責めた。本当に辛そうで「安楽死」と言う言葉も頭を過った。延命治療してもマリンが辛いだけだと。もう充分頑張ってくれたから後は大好きな玄関で看取るだけになった。次の日の夕方頃、前日から続いてた過呼吸の呼吸が不規則で浅くなり始めた。できる限りずっとそばに居た。ただタイミングが悪いことにその日、自賠責保険の支払い期限(この日まで行かなかった私が悪い)だったので、20:50頃に様子を見てママと車でファミマに行き、およそ10分程度で帰宅。荷物を置いて手を洗ってた所、先に見に行ったママが「今しっぽ上がった!」と言うのでダッシュで駆け寄った。その数秒後、私たちがいる方と真逆を向いていたマリンが最後の力を振り絞るかのようにこちらを向こうと頑張りながら力尽きた。最後のメッセージを残してくれたんだと思う。伝わったよ。本当に感動した。時計を見たらPM09:01。それはマリンの誕生日の日にちだった。これすらなにか巡り会った奇跡というか運命のように感じた。涙が止まらなかったけど両親が居たので我慢しようとしたけど完全に無理だった。その日ずっとそばに居たのに、ほんの10分離れた隙にいってしまうなんて。でも最後に間に合ってよかった。目も見えない、耳も聞こえないけど、出かけたのが分かって帰ってくる車のエンジンでも聞こえたのかななんて勝手に思っちゃった。ずっとそばに居たから頑張らせちゃったかなとも思ったり。すっごいタイミングだったからね。絶対忘れないよ。本当の妹の様に可愛がっていて毎日ずっと一緒に居たからすごい辛いし寂しい。ただ、1番辛いのは弟だったのかもしれないなと思う。大学3年生で東京に住んでる彼は新型コロナウイルスの為、春、夏と帰省を控えていた。たまたま秋に初回の免許証更新があった為、このご時世でも帰省しなければならなかった。これが無かったら帰省していない。会えずに別れを告げる所だったと考えると恐ろしい。久しぶりに会ってすっごい嬉しそうにしてたのがそれが最後になった。次は年末だねなんて言ってたのにね。あの頃は元気でまさか1週間後にこうなるなんて予想すらしてなかっただろう。亡くなったと連絡をした次の日、始発で帰ってきて変わり果てた姿を見て号泣していた。そんな姿を初めて見た。それを見て私も涙が止まらなかった。どれだけ大切にしてたか、どれだけ愛してたか。本当にコロナが憎い。人の命を奪うだけでなく、人の行動を制限させる酷いウイルスだ。でも最後に会えて本当に良かったね。

 

マリンとの出会いは小学4年生。当時幼い私は可愛いから犬飼いたい!の勢いで誕生日プレゼントだったかな?そんな感じで飼い始めてくれた家族が居て、感謝している。犬種も悩みに悩んで、犬種が決まったと思うと色に悩んだりして…大切に決めた1匹がマリンだった。子供の頃が1番可愛いのかなと思っていたけど歳を取れば取るほど愛おしくなっていった。人生の半分以上ずっと一緒に暮らしてきたからこそ、急に存在が居なくなってしまって言葉が出ないというか、実感が湧かない。ここ最近はずっと家で2人だったから、この気持ちをどこにどう当てたらいいか分からなかった。日中、家にひとりぼっちになった。まだ家のどこかに居るようで探してしまうよ。心にぽかんと穴が空くという表現の意味が分かったような気がして。どんなに辛いことがあっても癒してくれたし帰ってきたら1番に出迎えてくれたよね。体調悪くても手を繋げば治ったきがした事もあった。朝起きて1番にマリンを触りに行く、ご飯食べると必ず机の下に来る、玄関で帰りを待つ。日常生活全てに関わっていたんだなと感じた。

 

そんな私は23歳にして初めて身近の「死」と言うものを体験した。こんなに辛いのかと。泣いても泣いても涙が止まらず、今でも毎日泣いてしまう。時間が解決すると言うがそれもそれで嫌なんだよ。もう2度と会えない、触れられないと思うと不思議な感情で。絶望的。これから先が怖くなった。なんで愛されて生まれてきたのにこうやって死があるのかと考えたけど私には分からない。今まで当たり前にマリンと触れ合ってたこと、お散歩行ったこと、全てが当たり前じゃなくなった。きっと、この世界に当たり前はない。と教えてくれた気がする。朝が来て1日が終わっていくように、当たり前と思ってることって案外沢山あったりした。普段いかに、当たり前だからこうとか当たり前じゃないからこうとかを考えずに行動してたのか分かった。ご飯食べること、寝ること、何か出来ること、全部当たり前じゃないんだよって。少しの事でも幸せだなと思えるようになった。今いる周りの人をもっと大切にして感謝しながら生きてこうと思えたよ。

沢山の思い出をありがとう。伝わるかな。マリンに気持ちを届ける為に、ギター始めようか迷ってるところだよ。なんかの歌で、「花束のかわりにメロディーを、抱きしめる代わりにこの声を」っていう歌詞があるんだよ。今の私には本当にその通りでぴったりだなと思ったよ。なにか新しい事に挑戦したい気持ちを作ってくれてありがとう。まだ弾けるか分からないけど挑戦してみようかな(ギター思ったより少し高いけどね(笑))マリンに届くなら安いもんだよね!ずっと愛してます。うちに来てくれて出会ってくれてありがとう。何かあったら空を見るから見守っててね。空は繋がっているよ。世界で1番ずっと大好きです。

 

【 犬 】

子供が産まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時は子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼い時は子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年の時は子供の良き理解者となるでしょう。そして、子供が青年になった時、犬は自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。